ツインレイ 「愛に正解はない」

そもそも、私は「ツインレイ 」というワードは

一つのパートナーシップの世界観であって、

その言葉すらも元々は人間が作った

「一つの形」であると思います。

 

「ツインレイ 」のワードは

今の時代、よくよく耳にするようになってきましたが、

私の中では「ツインレイ 」という言葉は

「二つの光」であって

二つの光なのだから、イメージ的には

2人で光る!!って事だから

そもそも、独立した一人一人が光り輝く

世界観だと思うので

 

それは「ツインレイ 」っていう言葉にしなくても体験している人は沢山いて

そもそも元々あった「愛の形」なんだと思います。

 

昔は今みたいに「携帯」とかなかったわけだし

そもそも、苦しい体験や試練とかって

愛し合う2人には「当たり前」のような事だし

それだけ今の時代は、「愛」とか「絆」とかを忘れているだろな、、、なんて思いました。

 

 

結構前に私のおじいちゃんは亡くなっているんですが、おじいちゃんを失ってからのおばあちゃんを見ていたら、それこそツインレイ の試練とか吹っ飛ぶくらいに辛かっただろうな。

 

 

本人にしか分からない悲しみや苦しみ

沢山あると思います。

でも、それは決して自分だけが体験しているものではなく

まずお互いに生きているのだから

それだけで幸せな事なんだろうな、、、。

 

 

最近、30代で亡くなってしまった友人がいるんですが、彼はそもそも真実の愛を体験出来たのかと思うと、、

それは考え方次第であって

私個人的には10代、20代で亡くなっている魂からしたら、

愛している!!と伝えられる手段が今の時代には揃っていて、

それだけでも十分幸せな事なんだと思う。

 

それは極論なんだろうけど。

 

生きていてよかった!!と思える事が

最大の魂の成長なのかな。

 

死んでしまったら「相手」もなにも残らないのだから。

 

もしかしたら、「帰る場所」は天国で

地球には色々体験しに来ているのかもしれなくて、天国ではお互いに夫婦で

すごく幸せに暮らしているのだとしたら

逆に今のこの瞬間は何のためにあるの??と思う。

 

辛い思いをして、それを周りに伝えて

何が大切かを教えて、、、っていう文化は

私は人間を弱くしているような気がしてならない。

 

「辛い出来事」というのは

「生きているから感じられる幸せ」とも捉えられるし、

「辛い出来事」というのは

「幸せへのジャンプ台のようなもの」とも捉えられるし、

「辛い」っていう気持ちって

多分人間の思い込みなのかなーって。

 

辛いっていう言葉も人間がこの感情を言葉で表すには??と考えてきっと作られたのかもしれないけど、

辛いとか、好きとか、悲しいとかって

そもそも比べる対象ありきのもので、

比べるものがなかったら

辛いって何?ってなるわけで。

 

だったら、全ての定義を変えてしまえばいいとおもう。

 

 

「辛い」を「幸せ」に変えるのは簡単。

辛いって思う事を幸せだと思えばいい。

 

私は愛する事が出来て幸せ。

私は愛する人を見つけられて幸せ。

私はあなたに出会えて幸せ。

私は生きていてとても幸せ。

私は仕事ができて幸せ。

 

全てを幸せに塗り替えればいい。

 

「幸せ」って今ここにある。

 

みんな気付けない。

だから失ってから気付く。あー、あの時は幸せだった。って。

 

だったら後悔のない生き方をしよう!

好きなら好きと伝えよう!!

分かって欲しかったら分かって欲しいって伝えよう!

思いは伝わる。必ず。

 

こんな私も昔、本当に自分を好きだと言ってくれてた人を振った経験がある。

その後、その人の友人に聞いたら

彼は私と別れた後、全ての貯金を使い果たし

呑んだくれ、暴れ倒していたそう。

 

家の前まで来て、「好きだ」と何度も言われたけれど私は当時、気持ちは冷めていたし

気持ちが復活する事もなかった。

 

彼が今どこで何をしていて生きているのかすら分からない。

 

でも、私に後悔はない。

 

でも、皆んな少なからずそういう経験してると思うんだよね。

振られた方は本当に辛い。

でも、結果今が幸せならそれでいいと思う。

 

過去の出来事は「今」幸せであるかどうかで解釈が決まるのだから。

 

いやー、それにしても

ツインレイ っていう言葉の概念は怖いね。

 

思い込みって怖い。

 

でも、そういう私は

今、彼との関係が自分の思い通りになっていないってだけで、理性が効かなくなる時もある。

 

 

なぜ、今日こんな気持ちになったのかって、

お見合い結婚をして、 何十年も幸せだったという人の話に触発されたからだと思う。

時を共に生きる時間が長ければ

大切な人に変わるのは

自分の人生の長い時間をその人に費やしたから生まれるわけであって、

私は、ツインレイ だから

他の人の愛とは違うの!!って思う事自体が

エゴだと思うな。

 

じゃあ、他の人の愛がまるで偽物みたいじゃない?

それって本当に悲しい世界。

 

皆んな、ツインだろうがツインじゃなかろうが

「愛する気持ち」は同じだと思う。

 

それが何故生まれたのか?なんて

本人にしか分からないけれど

そもそも一つになる事が使命だとしたら

ちゃんちゃらオカシイ事だと思うんだよね。

元々一つなんだから。

 

今までの「経験」が偽物だとしたら

その経験は何のためにするの?

愛を学ぶ為なのだとしたら、「愛」に本物と偽物があるということになってしまう。

 

愛すらも定義はその人その人で違うと思う。

だから、

あなたが愛したいように愛して

それで上手くいかなかったのだとしても

自分が「愛」を持って接したのなら

その「愛」は自分の中にある。ということ。

 

 

まとめると、「愛」や「ツインレイ 」の形に正解はない。と思うということ。

 

 

「愛」は自分の中にあって

その「愛」を自分でただ感じたかっただけ。

気付かせてくれたのは、「ツインレイ 」という世界観を知った事で得られたのだから

それが自分の正解なのかもしれない。

 

 

私は、今も会った当初からも気持ちは変わっていないけど、

だとしたら、今までの約一年の間に起きた経験は「気持ちの変化」ではなく 

「現実」の変化をただツイン概念に当てはめて

感じたかったからそうしただけの事だと思う。

 

 

人は「魂の繋がりがある」と思う事で安心したいだけかもしれない。

でも、もちろん説明のつかない経験も沢山したから、それが魂の繋がりだ!って思えばそうだし、ただの偶然だって思えば偶然だし。

 

 

難しい話になってしまったから

今回はこの辺で自分を落ち着かせようと思います。

 

 

※注意

あくまで私個人の意見なので

解釈は無限だと思います。

でも、比べるものがあればきっと「自分の正解」が導けると思うので、敢えて私は伝えたいと思います。